落合川に架かる下桁橋は、江戸時代には 「大橋」 とか 「落合橋」 と呼ばれ、少し下流にあったと云われています。
 この橋が洪水により度々流失していたこと、またこの橋から医王寺までの登り道がつづら折れの難所であったため、道筋を変更することとなり、寛保元年(1741)から神坂湯舟沢経由の新道が中山道となりました。
 しかしこの道も悪路で、今までより約1.8㎞も遠回りになったことから、明和8年(1771)、再び十曲峠を通る前の道筋に戻りました。
 この時につづら折れの道を廃し、現在の北側に大きく曲がって緩やかに登る道に付替えられました。
 (中津川市教育委員会)

右神坂ヲ経て飯田町ニ通ず 左山中薬師弘法二十四番札所

中山道の付替と落合大橋説明

右飯田道

道標

廻國供養塔・馬頭観音2基

馬頭観音2基<左は正徳4年(1714)>

手前の道標が飯田道道標
(右手の道が飯田道)

道標