山中薬師由緒
当山はもと天台宗の名刹として栄え、戦国時代兵乱にあい法燈は一時中絶したが、天文13年(1544)当時新興の浄土宗の寺として中興開山し、俗に山中薬師と云う。本堂に安置されている
「薬師如来¥」 は天平時代の名僧行基菩薩の作といわれ、三河の宝来寺、御嵩の蟹薬師と並び、三薬師の一つとして住民の信仰が厚い。
中山道落合の宿の名物 「狐膏薬」 は薬師如来の夢のお告げにより作られたと伝えられ、当時の看板が残されている。
また境内には、芭蕉の句碑、念仏を広めた徳本上人の名号碑などがあり、往時の面影を留めている。
馬頭観音(左)、西国33所父部34所廻國供養塔(右)
芭蕉句碑
境内社の稲荷社
医王寺本堂
本堂に掛かる瑠璃山の扁額
本堂内陣
枝垂れ桜
宝形造りの大師堂
観音像と弘法大師像
俳諧の宗匠嵩左坊が 「その日その日風にふかせる柳かな」 と詠んだ枝垂れ桜(伊勢湾台風で倒れ今は二代目)
中山薬師行基作碑(左)、徳本の南無阿弥陀仏名号碑(右)
梅が香に のっと日が出る 山路かな