枡形に建つ常夜燈
(右の道は新道)

枡形に建つ常夜燈

右手の「坂の家」の前から石段を下る
(左の道は新道)

枡形向かいのツツジの紅葉

枡形の坂道を車屋坂という
(脇に車屋坂標柱が建っている)

馬籠の宿場
 中山道69宿のうち、木曽谷には11の宿場が置かれていた。馬籠は板橋を一番目とすると43番目の宿場になり、江戸からの距離は83里6町余りとなっていた。
 街道が山の尾根に沿った急斜面を通っているので、その両側に石を積んで屋敷を造る 「坂のある宿場」 が特徴となっている。
 宿場の中央には高貴な人の宿泊に備えた 「本陣」 や 「脇本陣」、荷物運搬の差配をする 「問屋」 が置かれ、旅人の利用する 「旅籠」 が18軒、このほか 「飯屋」 や 「馬宿」 があって、行き交う旅人で賑わった。
 明治25年(1892)に、木曽川沿いに国道が開設され、さらに明治45年(1912)には国鉄中央線が全線開通することにより、宿場としての使命を終えた。
 明治28年(1895)と大正4年(1915)の二度の火災で江戸時代の遺構の殆どを焼失した。

枡形
 馬籠宿の街道の南端は直角に二度折り曲げてあり、この部分の山手側は切り土になっている。これは城郭建築の枡形を模したもので、ここを 「枡形」 といった。
 本来宿場が軍事的な目的をもって造られたことを示している。
 明治38年(1905)の道路改修により当時の原形を消失したが、その後、昭和60年代になって復元された。

説明版