ここには、松本城主小笠原貞慶の重臣倉科七郎左衛門朝軌の霊が祀られている。
 伝説では、七郎左衛門は京都へ宝競べに行く途中、この地で盗賊のために殺されたとされているが、史実は次のようである。
 七郎左衛門は、主人貞慶の命を受けて大坂の豊臣秀吉のもとに使いに行き、その帰りに馬籠峠でこの地の土豪たちの襲撃にあい、奮戦したがついに下り谷で、従者30余名とともに討死してしまった。時に天正14年(1586)3月4日のことであった。
 当時、木曽氏と小笠原氏は、何度も兵戈を交えており、そうした因縁からこの争いも起きたと思われる。

倉科祖霊社

倉科祖霊社前を通る旅人
(文化文政風俗絵巻)

倉科祖霊社由緒

石灯籠と倉科祖霊社社標

倉科祖霊社社標と手水石