明治25年(1892)に賤母(しずも)新道が開通するまで、馬籠~妻籠~三留野を通る中山道は、古くから幹線道路として重要な役割を果たしていた。ことに妻籠の橋場は 「追分」 とも呼ばれ、中山道と飯田街道の分岐点として栄えた所である。
 この道標は、飯田の皆川半四郎という人が発起人になって、当所の松井輿六・今井市兵衛・藤原彦作の世話人とともに、飯田・江州・地元の商人によって、明治14年(1881)6月に建てられたものである。当時の繁栄が伺える石柱である。

石柱道標説明

民家の前に道標の先が見える

善光寺旧跡江八里半   長姫石橋中央江八里

飯田道

東京江七十八里半   西京江五十四里半

中山道