石仏「寒山拾得」様説明
光徳寺の中外和尚が彫った寒山拾得
光徳寺の中外和尚が手掛けた石の水舟
この石仏は、昭和59年の長野県西部大地震で、石段左手の石垣が崩れた際に発見され、不思議な像が彫られているので、道祖神の一種と考え、寺下住民がこの地に祀ってきた。その石垣自体、安政元年(1854)の大地震の後に積み直されたもので、それが再び地震で崩れ、石仏が出現したわけで、まことに不思議なことである。
この石仏が日本石仏協会の目にとまり、寒山拾得を題材にした 「箒と巻物を持った人物による双体像」 は、国内唯一の珍しい絵柄と分析された。彫ったのは、文政年間(1818-29)にこの像の隣にある
「水舟」 を手掛けた光徳寺の 「中外和尚」 と推察される。
「寒山」 は、唐代の禅僧豊干に師事し、天台山の近くに 「拾得」 とともに住んだ奇行の僧で、伝説の部分も多いが 「寒山詩」 や 「禅宗の画材」
として有名である。
石仏の 「寒山」 が手にする 「巻物」 は、知恵を意味し文殊菩薩の化身であり、隣の 「拾得」 が手にする箒は、行動を意味し普賢菩薩の化身と言われている。
(寺下区)