昔当地(妻籠)城山に木曾義仲の後裔義昌が砦を築いていた。其の頃武将が此岩の付近で恋の物語りをささやきたりと云う伝説あり。其の後、部落の地名も恋野となり、現在も其のまま残っている。中山道筋の旅人を驚かしたり、喜ばしている。(信濃道中記)
 鯉ヶ岩は名の如く大きな鯉の形をした大岩であったが、明治24年(1891)美濃の大震災で移動したため形が変わった。付近の烏帽子岩(神戸地区)と共に三大岩として有名である。
 鯉ヶ岩津島社81年祭に当たり祠再建。

巨大な鯉ヶ岩

地元の方が説明をしてくださった

鯉ヶ岩説明