園原家は、三留野宿東山神社の神官を務めた家で、江戸時代の大学者園原旧富まで遡る建物である。
 栗材が多用され、差鴨居も鼻栓で止める古い形式で、17世紀後半から18世紀前期の建物と推察される。神殿も同時期のものと思われる。
 江戸時代中期の神官屋敷の様子を知ることができる建築物で、現存するものが少ないことからも貴重である。また、推定数百年のイチョウや屋敷内の坪庭にあるドウダンツツジも、季節ごとに鮮やかな姿を見せ、見事である。
 (長野県教育委員会)

園原家住宅説明

園原家住宅

園原先生碑

園原家住宅入口
(推定樹齢数百年のイチョウ)

天神社

園原先生碑説明

 園原旧富(ふるとみ)は、三留野村和合の東山神社の神官の家に元禄16年(1703)に生まれ、長じて京都に遊学し、吉田兼敬(神祇管領長)に師事して神学を学び、「神学則」 を著すまでになった。その後も 「木曽古道記」 などを著して、尾張・美濃・信濃に門人多数を擁する大学者となった。
 この碑は、彼の死後5年目の天明元年(1781)に、学徳を慕う門人たちによって建立されたもので、碑文は当時有数の学者である松平君山が書いている。なお、園原家住宅(一部公開)は、江戸時代中期の神官の家の姿を伝える貴重なものである。