蘭渓堂如水は本名を北岡仙左衛門俊之といい、文化12年北岡遷左衛門の次男として生まれた。幼少の頃から学問を好み、書の道にすぐれ、12歳で同輩に教え、文政13年には15歳にして早くも読み書きの道場を開いたという。
 以後、45年間にわたり書道教授として、鴻巣宿は勿論、田間宮・簔田その他の地区の子弟の指導にあたり、その数は1150名にも上ったという。まさに当地の児童教育の第一人者であった。
 明治6年の学制発布による公立小学校の開校に伴って補助教員として世話掛りの任についたが、病気のために翌7年1月に職を辞した。明治8年7月6日逝去。享年60歳であった。法名教光西征清居士。北岡家墓地は、市内大間の久保寺にある。
 多数の門弟たちが、郷土の子弟教育に生涯を尽くした如水翁の功績をたたえるため、明治14年8月に筆塚として建立したのがこの蘭渓堂碑である。
 この妙見山池元院境内に建立されたのは、翁の住まいがあった加美町にちなんだためである。
 (鴻巣市教育委員会)

院前に建つ二基の南無妙法蓮華経題目碑

蘭渓堂碑説明

蘭渓堂碑