この石地蔵は、天保15年(1844)5月27日の夜に発生した蛇抜け災害によって犠牲になった人々を弔うために尾張藩によって弘化2年(1845)に建立されたものである。
 当時、与川山では御用材の伐採が行われており、多くの杣(そま)や日用が材木運材に従事していた。蛇抜けによって全壊した飯場には5組120名の杣や日用が寝泊まりしていたが、内99名が死亡、7名が重軽症で、無事だったのはわずか6名という稀に見る大惨事であった。
 (南木曽町教育委員会)

与川渡の石地蔵説明

南無阿弥陀仏名号碑(左)、地蔵尊供養紀念碑(右)

 地蔵尊供養紀念碑は、明治37年(1904)3月の60年忌に建立されたもので、徳川侯爵の文字が刻まれている。

与川に向いた地蔵尊

与川を向いた石地蔵

馬頭観音(2基)