「こうのす」 という地名は、古代に武蔵国造(むさしのくにのみやつこ)である笠原直使主(かさはらのあたいおみ)が現在の鴻巣市笠原あたりに居住したとされ、また一時この付近に武蔵の国の統治を行う機関(国府)があったのではないかと推測されることから、「国府の洲(中心)こくふのす」
が 「こうのす」 となり、後に 「こうのとり」 の伝説から 「鴻巣」 の字をあてるようになったと思われます。
国府のことを 「こう」 と呼ぶのは、他の地名国府台(こうのだい)、国府津(こうづ)などからも類推されます。
国府のお宮を国府宮(こうのみや)と呼ぶのは、愛知県稲沢市にある尾張大国霊神社、別名国府宮(こうのみや)など、全国でも例があります。
このことからこうのとりのお宮 「鴻の宮」 は、国府の宮(こうのみや)であったのではないでしょうか。
旧鴻の宮
鴻神社由緒
鴻神社拝殿
拝殿前の二本のイチョウは推定樹齢500年といわれる