当寺の往古は、室町時代木曽家祈願所として真言宗に属し、木曽東古道沿いの伊奈川大野の地に菊名山広徳寺としてありましたが、天文年間(1532-54)武田軍或いは山賊の焼き討ちにより廃絶してしまったと云われています。
その後、文禄年間(1592-95)定勝寺7代天心和尚を開山として旧地に禅宗地久山天長院として開かれ、街道の変遷により、寛文年間(1661-72)地蔵堂のあった合の宿平沢の現在地へ移転し現在に至っています。
子供抱いたマリア地蔵尊(右)
地蔵尊群
地久山天長院由緒
六地蔵尊
南無阿弥陀仏名号碑、庚申塔(青面金剛)
南無阿弥陀仏名号碑、鳥獣魚供養塔
梵鐘
山門まえの参道
天長院山門
T字路に建つ中部北陸自然歩道道標と石製道標
天長院本堂・庫裡
鐘楼