青面金剛の庚申塔(三猿も確認できる)
青面金剛の庚申塔(左の石塔は聖徳太子)
庚申の信仰に基づく庚申塔の造立は、室町時代以来次第に盛んとなり、江戸時代に至ると路傍の石塔として各所に造立されるようになった。
市内の庚申塔はその数も多く、青面金剛神に日天・月天を配したもの、見猿・言わ猿・聞か猿のいわゆる三猿を配したもの、邪鬼を踏まえたもの、文字で庚申と書したもの等その様式も多種にわたるが、この庚申塔は寛政2年(1790)の銘があり、右側面には庚申の由来を記した銘文を持つ市内でも有数の堂々たる庚申塔である。
この庚申塔は当初よりここに建てられたものではなく、明治維新まで中山道中央に鎮座したと伝えられる市神社の社側に建てられていたものであろうと推定される。市神社は明治3年の大強風により破壊され、左右の狛犬だけが残り、法要寺薬師堂前に移されて現在に至っている。
(鴻巣市教育委員会)
法要寺は深井寿命院(北本市)の末寺で、寺号は慈雲山医王院法養寺と称し、長禄元年(1457)亮恵上人の開基と伝えられ、本尊には行基作と伝えられる大日如来が安置されている。
法要寺は梅に鉢の寺紋で、加賀前田家と同じ紋を使用している。これは慶安年間(1648-52)の頃、加賀前田候が参勤交代における鴻巣の宿所として法要寺を利用することになった際に寺紋としての使用を許されたものである。
法要寺には市の指定文化財となっている庚申塔をはじめ、市神の狛犬、深井景周の碑、関弥太郎のお墓等貴重な文化財が少なくない。
法要寺由緒
山門から参道の奥に本堂を望む
本堂
六地蔵尊
庚申塔説明
三界萬霊塔、馬頭観世音