天正18年(1590)9月、牧野康成は石戸領5000石を領した。その子信成は加増により大名に列し、石戸藩主となる。
のちに関宿に転じた信成嫡子親戚は、京都所司代を勤めたのち、寛文8年(1668)丹後国田辺城主35000石の譜代大名として約200年続き明治維新を迎えた。
ここには歴代の当主夫妻が眠っている。
けふばかり 人も年よれ 初時雨
小松姫は本多忠勝の女(むすめ)で家康の養女となり、真田信之(幸村の兄で信州松代藩の祖)に嫁し、元和6年(1620)2月24日没した。
生前当山中興二世の貫主円誉不上人に深く帰依した。
そのような縁で元和7年(1621)一周忌に際し信之の二女松姫(見樹院)が当山に分骨造塔した。
本廟は長野県上田市の芳泉寺にある。
真田小松姫の墓
秀久は信州小諸(長野県小諸市)の城主。初め羽柴筑前守秀吉の家臣で淡路国須本城主であったが、天正18年(1590)小田原征伐の武功により、小諸を賜った。のちに徳川家康に仕え、慶長19年(1614)出府しての帰途発病、同年5月6日当地で没した。当山にて殯し、同年11月8日小諸の歓喜院に葬る。遺命により当山に分骨建墓。
本廟は芳泉寺(長野県上田市)にある。
信重は真田信之(幸村の兄で信州松代藩の祖)の三男。慶安元年(1648)2月23日鴻巣で病没した。
母小松姫の縁で当山に葬る。また信重の室は鳥居左京亮の第六女。慶安2年(1649)12月9日に没した。
長野市松代町の西楽寺には夫妻の霊屋(おたまや)があって位牌が安置されている。
芭蕉句碑
丹後国田辺城主牧野家累代の墓
仁王門
石仏群
本堂
真田信重の墓
信重の室の墓
仙石秀久の墓