旧脇本陣西尾家の祖は、代々菅原の氏を名乗る続柄にして、大永・天文年間(1522-54)の頃、此の地信濃の国須原に住し、地域の開拓に力を尽くす。
 西尾家は、木曽屈指の旧家にして木曽家の家臣として重きをなす。殊に西尾丹波守は、馬術また武芸に優れ、木曽義昌公の信任極めて厚く、鳥居峠また妻籠城の合戦等に参画転戦し、その武功著しきものありしと伝えられる。
 天正18年(1590)木曽義昌公は、豊臣秀吉の命により突然下総の国網戸に移封せらるるも、西尾家は依然此の地に留まり、その後は木曽代官山村家に仕え、尾張藩の山林取締役等の重責を担う。
 慶長5年(1600)中山道宿場の出来るに伴い、須原宿の脇本陣・問屋・庄屋を兼ね、宿役人として重きを為し、地域の発展に貢献せり。
 その後寛延・慶応の二度に亘る火災に遭遇し、記録の一部を焼失するも、今なお当寺の隆昌を物語るに足る古文書・書画・什器等多数蔵することは文化財として貴重な存在である。
 酒造業は古く江戸時代の創業にして現在に至る。
 (大桑村)

旧脇本陣西尾家の沿革

判読できないが西尾の文字が見える石碑