江戸時代には、本町(枡形の街並み)の角を曲がり、中町に入った所の左右に2基の一里塚がありました(碑より30m下方)。 一里塚は土を丸く山に盛って造られているので、南に向かって右側を下の山と呼び、左側を上の山と呼んでいました。 この一里塚の位置は、京へ65里、江戸より72里です。 残念ながら現存しません。
稲荷神社本殿
本町一里塚跡説明
上松町消防団の路地奥に鳥居が見える
急斜面に建つ鳥居
枡形道の角に一塚跡碑が建っている