天正12年(1584)の木曽義昌朱印状には、「上塩渕」、「塩渕中屋」、「塩渕彦三郎」 の名が出てくる。
 享保9年(1724)の 「岩郷村家数書上帳」 には、「家数14軒塩渕」 とある。
 シオという地名は、川の曲流部に付けられることが多く、塩渕も木曽川の曲流部にできた渕とすると地形的に合っている。
 また、塩渕には次のような言伝えが残っている。
 昔、中山道を馬の背中に塩を載せて運んできたところ、その馬が木曽川の渕に転落し塩を撒いてしまったところから、塩渕という地名が付いたと伝えられている。

中山道標柱

中山道一里塚之跡碑

中山道説明

霜が降りて白くなった植物

塩渕地名由来

 中山道(中仙道)は、江戸時代の五街道の一つで、江戸日本橋を基点に浦和、高崎と北上し、軽井沢、岩村田から、下諏訪、塩尻を通って木曽谷に入り、中津川から太田、関ヶ原に抜けて京都に至る街道である。
 東海道に次ぐ江戸~京都間の重要な道であり、中世までは東山道といった。また木曽11ヶ宿を通過するために木曽路、木曽街道とも呼ばれた。
 木曽11宿とは、北から贄川、奈良井、薮原、宮ノ越、福島、上松、須原、野尻、三留野、妻籠、馬籠の11の旧宿場町のことで、贄川の北に 「これより南、木曽路」、馬籠の南に 「これより北、木曽路」 の石碑が、今も旅人たちを迎えて建っている。この11宿のうち、妻籠、奈良井の二宿は現在も往時の宿場町の面影をよく伝えており、「文化財保護法」 による 「重要伝統的建造物群保存地区」 に指定されている。
 建ち並ぶ昔ながらの木造民家、格子窓、時代映画に見るような古い旅籠など、まるで江戸時代に迷い込んだような思いがする。
 また、木曽福島には尾張藩の代官山村氏が居住し、福島関所も置かれて、木曽路の行政や商業の中心地となっていた。その役割は近代以降にも引き継がれている。福島の関所は箱根、新居、碓氷と共に日本4大関所の一つとされた。その関所は復元されて隣の関所資料館と併せて公開され、また代官屋敷の一部と庭園も見学できる。
 この案内板の前が旧中山道である。
 34家の諸大名が、参勤交代の際大名行列をして通った往還である。すぐそばに一里塚があり 「江戸より70里、京へ67里」 の石碑が建っている。