江戸時代、御条目やお触れは制札として一定の場所に掲げられていました。これが高札で、高札場の事を 「御判形(おはんぎょう)」 ともいいました。高札場は柵を結って近寄ることが出来ないようにして、中には栗石(くりいし)が敷き詰められていました。
高札場は、宿村間の里程(距離)を測る基準として用いられましたので、容易に移設できない場所でした。また高札の文字の不明になった場合でも勝手に墨入れすることが禁じられ、領主の権限によって行われました。
この高札場は、天保9年(1838)に8枚の札が掲げられている様子を再現したもので、上より 「福島より上松への駄賃銭」 「親子兄弟人の道」 「駄賃荷物の定め」
「きりしたん禁制」 「徒党強訴の禁止」 「毒薬売買にせ金禁止」 「火付け盗賊五か条の定め」 です。
この高札は、実際の3分の2の大きさに縮小してあります。
(木曽町)
高札8枚を掲げて再現 (実物の2/3大)
高札場上の水場
高札場説明