福島宿は木曽谷の中心地として栄え、宿泊客で賑わっておりました。福島宿本陣は、徳川幕府による中山道69次の宿駅制度確立とともに整備され、明治3年(1870)の宿駅制度廃止まで続きました。
大名等高貴な御方の宿泊のために設けられた宿を本陣といい、現在の役場及び役場前広場がその敷地で、150坪の大きな旅館でした。敷地の入口に門があり番所もあって警護され、玄関から左奥に4つの部屋がつながってあり、その奥に殿様が泊まる上段の間がありました。上段の間には、専用の広い便所や6畳ほどの御湯殿もありました。中央に勝手と廊下があり両側にそれぞれ二通りの部屋が並んでいる堂々たる宿でした。
諸大名が泊まるときには、門前に 「誰様御本陣」 と立札を掲げ、玄関に幕を張りました。また夜になると高張提灯を立てたといいます。
本陣は明治半ばに壊され、明治39年に役場庁舎が建てられましたが、昭和2年の福島大火で焼失し、その後現在の庁舎が建てられております。
本陣跡標柱
真岡薬局の手前を左折
七笑醸造元店舗
関所橋
福島宿本陣説明