延享2年(1745)4月に尾張藩主徳川宗勝が江戸を発って尾張へ帰る途中、山村邸に一泊しました。その時、藩主に従って来た重臣であり、学者であった横井也有(やゆう)の紀行文 「岐岨路紀行」 の一節が石垣の石に刻まれています。
 俎板(まないた)のなる日はきかずかんこ鳥
 也有 延享二年卯月一二日

 「けふは福島にて山村氏が亭に入らせたまふ家居つきづきしくのしめ裃にてもてさわぎて何くれともてなしたてまつる。鯛鰤などの膳にひろごりたるけふは山家めきたる心地せず」
 石垣は延享4年(1747)に改修されました。その時石に刻まれ、後世たびたび改修されましたが、この石は当時のままに残されています。
 (木曽町)

水場 (代官清水)

山村代官屋敷東門跡説明

代官清水説明

 この付近の広大な用地に木曽代官山村氏の屋敷があり、城山の権現滝あたりから引水した水場がいくつかありました。
 これらの水場は、代々人々に愛されて、一年中井戸端会議で賑わったそうです。

横井也有の岐岨路紀行の一節

けふは福島にて山村氏が亭に入らせたまふ家居つきづきしくのしめ裃にてもてさわぎて何くれともてなしたてまつる。鯛鰤などの膳にひろごりたるけふは山家めきたる心地せず

俎板(まないた)のなる日はきかずかんこ鳥

山村代官屋敷東門跡

也有 延享2年(1745)卯月12日