蛻庵稲荷堂
 約400年前飛騨の国王秀綱は、豊臣勢に攻められ秀綱は討死、その折秀綱が愛育していた白狐は難を逃れて、諏訪藩の学者千野兵庫のもとに少年に変化して入門した。
 一方、木曽の興禅寺住持第6世桂岳和尚は名僧のほまれ高く、しかも秀綱の義弟である事を耳にした白狐は、天正15年春、和尚を訪ねて弟子となり、名を蛻庵と号した。その後、姉である秀綱の妻が、飛騨の安国寺に隠れて密かに余生を送っている事を聞いた。和尚は姉を木曽に迎えんと、蛻庵を使者に遣わした。木曽より高山に抜ける山道の途中、現岐阜県大野郡高根村日和田にて猟師の家に、一夜の草鞋を脱いだ。猟師銃口を掃除し銃眼をのぞくに、前の僧は、墨染衣を纏った白狐なり。想うに、この国友の名銃は妖怪変化も本性を現すときく。寝込みを待ってこれを撃ち殺せり。爾来村中に悪疫ひろまり、ために蛻庵稲荷堂を建立して、これを祀る。

代官山村氏累代の墓

代官山村氏累代の墓

代官山村氏累代の墓

木曽義康公墓 ・ 木曽義仲公墓 ・ 木曽信道公墓

巴塚の巴松

さくらちりをへたるところ旭将軍の墓

木曽義仲公墓所

蛻庵(ぜいあん)稲荷堂

本堂前の時雨桜

興禅寺本堂

御影観音堂の木曽義仲公像

御影観音堂

万松庭

看雲庭

昇龍の庭(登龍門)
 中国の黄河の上流に、三級岩という険しい滝があり、龍門爆と呼ばれ、下流から泳いできた鯉は、この滝を登り、勢いよく登った鯉は、そのまま龍と化して昇天するという。そのことから、元気の良い男子は龍となって天に昇るように 「鯉のぼり」 の風習が江戸時代に定着したのである。
 龍門爆は、天竜寺庭園(京都市)、常栄寺庭園(山口県)、金閣寺庭園(京都市)、光前寺庭園(駒ケ根市)、東光寺庭園(山梨県)などが知られている。
 この庭の場合は、親子三体の龍が昇天する姿を滝上部に表現し、下部には、これから龍とならんとする鯉魚石(りぎょせき)を表現している。

細川幽斎公ゆかりの地碑(細川護熙氏書)

勅使門

興禅寺参道口

紅葉が見事な参道

昇龍の庭

木曽義仲公墓

木曽信道公墓
(木曽家12代、興禅寺開祖)

木曽家代々の墓