このお宮は、古くは山下天神と呼び、木曽義仲を養育した中原兼遠が義仲の学問の神として勧進したものと伝えられています。
 源平盛衰記に義仲を木曽の山下に隠し養育したことが記されていますが、山下は上田の古名で、付近には兼遠の屋敷跡、義仲の元服松等の史跡があり、このお宮の古さを物語っています。
 境内の「一位(イチイ)」の古木は名木として知られ、中山道を往来する旅人は必ずここに杖をとめ参詣したものと言われています。
 このお宮の祭りは、毎年8月24日、25日の両日で、境内の土俵では青少年の相撲大会が大正の初期より行われています。
 (木曽町)

左から西国三十三所供養塔、南無阿弥陀仏名号碑、享保19年(1734)の西国巡禮三十三所補陀道場、寛保2年(1742)の南無阿弥陀仏名号碑

左から享和2年(1802)の南無阿弥陀仏名号碑、宝永7年(1710)の西国三十三所観世音菩薩、寛延4年(1751)の巡禮秩父三十四所供養塔

手習天神説明

イチイの古木と天神社

天満宮の扁額が掛かる鳥居

御神燈

覆屋の中の天神社

庚申塔(左)、嘉永5年(1852)の廿三夜塔(中)、南無阿弥陀仏名号碑(右)

薬師堂

地蔵菩薩ほか

明治22年(1889)の聖徳太子碑