中山道宮ノ越宿の田中家は、宿絵図に旅籠屋田中忠右衛門と記された旅籠であったが、明治16年(1883)の上町から下町まで90戸を焼失する大火で焼失した。
現在の建物は、大火時に搬出された建具類と、隣村から運んだ建物部材を使用して再建されたものと伝えられており、背の高い差鴨居を多用しているので、移築した建物の建築年代は幕末期と考えられる。また、入口周りの痕跡からみると、間口4間ほどの建物の土間部分を狭くし、間口を縮めて移築したものと考えられる。現在の間口は3間4尺あるので、宿絵図に記された3間より広く、大火により町割りの再編がされたことが伺える。建物は大きな改築をすることなく住宅として使用されてきたが、平成9年に旧日義村へ寄贈された。
田中家主屋は、間口3間4尺、奥行8間の二階建てで、二階を3尺張り出した出梁造り(だしばりづくり)の建物であり、一階の格子と二階の障子戸の対比が美しい伝統的な宿場の建築様式を伝えている。
間取りは、大戸の入口を入ると通り土間があり、片側に一列に10畳、勝手(6坪余)、10畳がある。二階には勝手にある箱階段から上り、勝手の囲炉裏部分は吹き抜けとして、他は表から裏まで間仕切りの無い一室になっていた。
入口の持ち送りは、波しぶきの彫もしっかりとしていて、宮ノ越大工の腕の確かさを証明している。
平成26年の修復復元工事にあたり、古い部材の再使用など建築当時の姿を保つよう配慮しながら、奥の縁側に階段を新設したほか、入口の10畳は土間へ改装し、構造補強の壁を追加するなど、交流の場としての活用を目的とした改装を行った。
旧旅籠田中家
田中家説明
宮ノ越宿家並み(左の家が田中家)