木曽一族墓所

樋口次郎兼光の墓

巴御前乗馬像

徳音寺本堂

 この鐘楼門は、木曽義仲24代の孫木曽玄蕃尉義陳の発願により、尾張藩の犬山城主成瀬隼人正藤原正幸の母堂が施主となって、享保8年(1723)に巾番匠棟梁藤原朝臣大和流狩戸弥兵衛久正の手によって建立されたものです。
 この門は、桁行3間梁行2間の重層楼門で、軸部の構成、組物は唐様(禅宗様式)であり、全体に調和がとれ安定した楼門です。しかも、装飾的な無駄がなく簡素の美を構成している点が賞せられます。
 弘化2年(1845)と、平成8年(1996)に修理はされているが、木曽における江戸時代中期の楼門建築を代表するものとして、よくその姿をとどめています。
 (日義村教育委員会)

徳音寺遠景

木曽一族の墓から境内を望む

義仲公の里碑

徳音寺山門

徳音寺山門説明

木曽殿菩提所徳音寺寺標

参道口

参道に並ぶ石仏群

 武蔵の国で誕生した駒王丸は、2歳の秋からこの地で育てられた。この美しい風光のままに、真直ぐにすくすくと大成し、平家を西海に追い落として天下を平定し、朝日将軍と呼ばれたが、政をするには余りにも美し過ぎたのか、哀れにも粟津が原に一朝の霜と消えた。芭蕉が 「義仲の寝覚の山か月悲し」 と詠む。義仲公の眠るにふさわしいこの里の山や川の、そして人の心の美しさは今も少しも変わることなく流れている。大夫坊覚明が菩提寺を建てて800有余年、余音溺々と響く徳音寺の晩鐘と共に公の功はいつ迄も変わることなく私達の魂をゆする。

木曽義仲の墓

巴御前の墓

今井四郎兼平の墓