はじめ尾州御鷹匠役所は妻籠宿にあったが、伊奈川にあった鷹の飼育場も統合して享保15年(1730)、ここ薮原宿に移された。
 この役所は明治4年(1871)に廃止されるまで存続したが、土地の人々が 「おたかじょ」 と呼んでいるこの場所が、その跡地である。
 毎年春になると、尾張藩から鷹匠と役人が出張して来た。
 鷹の巣を見つけて鷹の飼育や調教・鷹の公儀献上・巣山の管理および巡視等を、木曽代官山村家の家臣や土地の人々の手助けも得て、行っていた。
 木曽谷中に60余あった 「巣山」 といわれていた御巣鷹山は木曽川の上流では、味噌川にある池ノ沢・尾頭沢と笹川の押出の三ヶ所であった。
 厳しい自然環境のなかに棲みつき育った当地の鷹は優秀であり、生まれた幼鷹とともに鷹狩を好む尾張藩主をはじめ、将軍家に人気があったといわれている。

尾州御鷹匠役所跡標柱

尾州御鷹匠役所跡説明

向いの山裾に見える木祖村立木祖小学校