松尾芭蕉の句碑
〇 木曽の栃うき世の人の土産かな (木曽の栃浮世の人のみやげかな)
句碑の書は、木曽の第10代代官山村良喬(たかてる・俳号風兆)。碑の裏面に「雲雀の句はこの峠で詠まれたものでないので、この栃の句に建て替えた」ということが刻まれている。天保13年(1842)に薮原の俳人桃暁(とうぎょう)らによって建立された。
〇 雲雀よ里うえにやすらふ嶺かな (雲雀より上にやすろう峠かな)
いつ誰が建立したものかは不明。句の上部に「はせを翁」(芭蕉翁)とある。句は大和の臍峠(ほぞとうげ)で詠んだものである。
法眼護物(ほうげんごかつ)の句碑
〇 嶺は今朝ことしの雪や木曽の秋 (峰は今朝ことしの雪や木曽の秋)
護物は伊勢の人。僧侶(法眼)で俳諧の研究者。建立年は不明であるが、建立者は、藪原の俳人岡田不登根(ふとね)たちである。
月雪華(げつせっか)の句碑 (碑の頭部は欠けているが、建立時の記念句集から次の3句であることは明白である。)
〇 雪ならば動きもせふに山桜 (雪ならば動きもしように山桜 道元居)
〇 染上し山を見よとか二度の月 (染め上げし山を見よとか二度の月 以雪庵)
〇 雪白し夜はほのほのとあけの山 (雪しろし夜はほのぼのと明けの山 雪香園)
華表嶺眺望
いずれも美濃の人で木曽の俳人仲間の師。句碑の書と建立は木曽代官山村良喬(俳号風兆)。「月雪花」は、四季折々のよい眺めという意味であり、「華表嶺」は鳥居峠のことである。いずれも鳥居峠の眺めのよさを詠んだものである。
鳥居峠古戦場の碑
明治32年(1899)8月木祖村の有志によって建立されたもの。戦国時代の終わりころ、天文18年(1548)と天正10年(1582)に、木曽氏の軍勢が甲斐の武田軍を、この峠で迎え討ったことや、峠の様子などが書かれている。藪原の「青木原」、奈良井の「葬り沢」など、時代をしのぶ地名が記されている。
丸山公園
木祖村史跡鳥居峠碑
鳥居峠の句碑と古戦場説明
左 月雪花句碑 右 鳥居峠古戦場碑
左 法眼護物句碑 中 鳥居峠標柱
右 芭蕉句碑
芭蕉句碑
雪ならば動きもしように山桜 (道元居)
染め上げし山を見よとか二度の月 (以雪庵)
木曽の栃うき世の人の土産かな
左 嶺は今朝ことしの雪や木曽の秋 (法眼護物)
右 雲雀より上にやすろう峠かな (芭蕉)