鳥居峠は標高1197m、木曽川と奈良井川の分水嶺である。江戸時代の五街道の一つ、中山道の宿場町である奈良井宿と薮原宿の境をなし、旅人には難所として知られていた。
戦国時代に、木曽義元が松本の小笠原氏と戦ったときに、この峠の頂上から御嶽を遥拝し、戦勝を祈願した。その功あって勝利を得ることができたので、峠に鳥居を建てた。以来、この峠は
「鳥居峠」 と呼ばれるようになったという。
一里塚は京都から江戸までおよそ一里ごとに街道の両側に土を盛り上げて塚を築き、榎や松の木を植えて旅人の目安としたものであるというが、鳥居峠一里塚はその面影を留めていない。場所も、古老の話や古地図、文献などによって
「ほぼこの辺り」 としたものである。
(NPO法人木曽ユネスコ協会)
木製の整備された橋
鳥居峠一里塚跡碑
一里塚の痕跡は見られない
鳥居峠一里塚説明
コンクリート製の橋
コップが3つ置かれた水場