天正10年(1582)2月、木曽義昌が武田勝頼の2000余兵を迎撃し、大勝利を収めた鳥居峠の古戦場である。
 この時、武田方の戦死者500余名でこの谷が埋もれたといわれ、戦死者を葬った場として、葬沢(ほうむりさわ)と呼ばれる。

 「恩讐の彼方に」 の鳥居峠(華表嶺)での場面は、静かな中に一瞬凄絶を極める。そして、ここから遠く青春の洞門へと舞台は移ってゆく。この鳥居峠には、作品として最も重要な動機が設定されているのであるが、思えば、その動機の背景をこれほど見事にふさわしく偲ばせるところもないのである。
 鳥居峠の貫禄というものであろう。鳥居峠、特に奈良井側からの峠のあの山の背を這うようにしてゆく崖道は、嶮岨そのものであると同時に、中山道全街道を通じて最も深い趣を持つといっていい。
 兎に角、幾百年の歴史の道は、その風格とも併せて春秋ただ素晴らしいの一語につきる。
 (澤田正去・文、景峰道人・書)

菊池寛 「恩讐の彼方に」 鳥居峠

途中の展望台小屋から

沢に架かる木橋

沢に架かる木橋

前方に見える中の茶屋跡

中の茶屋跡

葬沢説明