境内地804坪。
 元和4年(1618)此の地に難病流行す。住民談合し神祇官に願いて社殿を建て経津主命を奉斎せしに難病忽ちに鎮まるをもちて鎮大明神と号す。
 此の地は中山道に接し、特に武門武将の通行も多く、病気平癒、害虫駆除等祈願参詣するに格別霊験あらたかなりと称せらるるは、古来より各地に行商せる奈良井檜物商人達の口伝によるもの多しと鎮大明神霊験記にしるされている。
 例祭の神輿渡御は古式ゆかしき裃姿の若連による三町内の御囃子、獅子屋台、武具行列、神輿神馬等延々と威儀を正した行列が8月12日正午より夜半に及び一大絵巻を展開する情景は木曽谷中に類例を見ざる祭典行事である。
 昭和34年(1959)秋の台風禍を被り拝殿倒壊し、翌年新築復興を見た。

境内社

鎮神社由緒

手水舎

鎮神社拝殿

御神木の杉、舞屋

境内全景

鎮神社の扁額が掛かる拝殿内部