貞治5年(1365)7月元章希本阿闍梨の開創。永禄11年(1568)迄13代此の間の事跡は不詳である。永禄11年2月静岡県庵原郡梅ヶ谷村真珠院法嗣器外聞應大和尚来山し当山開基となし、これより曹洞宗となる。
 その後、北条氏康の臣武州鉢形城主藤田康邦の子藤田能登守信吉は、当山開基器外聞應和尚に帰依篤く疲弊の伽藍を再建して信吉を中興開基とし、以後当寺継承の往時は藤田姓を称してきたものである。
 天正5年(1577)木曽義昌、武田勝頼、鳥居峠にて合戦し、その兵災の為七堂伽藍ことごとく灰塵にきしてしまったと記録にある。
 文禄年間(1592-95)再度信吉来たりて伽藍を三建する。
 元和2年(1616)7月大坂冬の陣の創傷治療のため、諏訪温泉へ訪く途中、当山に立ち寄り数年を経て、当寺にて逝去する。享年55歳であった。
 寛政7年(1795)10月伽藍を改修し七堂伽藍が立ち並び、近郊を圧するものであったと云う。
 天保8年(1837)7月6日奈良井の大火(宿場の8割が全焼)に依り全焼す。
 慶応2年(1866)10月4回目の復興を見、今日に至っている。

長泉寺由緒

六地蔵尊

長泉寺本堂

鐘楼

本堂に掛かる長泉禅寺の扁額

長泉寺参道

山門