奈良井は、戦国時代に武田氏の定めた宿駅となっており、集落の成立はさらに古いと考えられる。慶長7年(1602)江戸幕府によって伝馬制度が設けられて中山道67宿が定められ、奈良井宿もその宿場の一つとなった。
選定地区は中山道沿いに南北約1㎞、東西約200mの範囲で南北両端に神社があり、町並みの背後の山裾に5つの寺院が配され、街道に沿って南側から上町、中町、下町の三町に分かれ、中町に本陣、脇本陣、問屋などが置かれていた。
奈良井宿は、中山道最大の難所といわれた鳥居峠をひかえ、峠越えにそなえて宿をとる旅人が多く 「奈良井千軒」 と呼ばれる程の賑わいをみせた。現在も宿場当時の姿をよく残した建物が街道の両側に建ち並んでいる。
建物の大部分は中二階建で、低い二階の前面を張り出して縁とし、勾配の緩い屋根をかけて深い軒を出している。屋根は石置き屋根であったが、今日はほとんど鉄板葺である。二階正面に袖壁をもつものもあり、変化のある町並みを構成している。
奈良井宿碑と奈良井宿説明
奈良井駅
奈良井駅前(赤い屋根が奈良井駅)