中山道を含む五街道の一里塚は、慶長9年(1604)に出された江戸幕府の命により、大久保長安の指揮のもと行われた。江戸日本橋を基点として一里(約4㎞)ごとに街道を挟んで2基設置され、松や榎が植えられた。
 橋戸一里塚は、市内に9ヶ所ある中山道一里塚のうち江戸側から8番目の一つである。
 文化3年(1806)に完成した 「中山道分間延絵図」 には、「此辺り古往還一里塚」 と記載されている。このことから、当初中山道は、奈良井川左岸にあり、そこに橋戸一里塚が設けられていたが、江戸時代のいずれかの時期に中山道が奈良井川右岸に移され、橋戸一里塚は、使われなくなったと考えられる。
 この一里塚は、経路変更の経緯を示す貴重な交通史跡であり、地区住民により平成19年に周辺整備が開始され、中山道の歴史をしのぶ公園として親しまれている。
 (塩尻市教育委員会)

一里塚跡碑の手前はゲートボール場

橋戸一里塚説明

橋戸一里塚標柱

橋戸の一里塚跡碑

奈良井川沿いの道

奈良井川に架かるフェンスの橋を渡る