当社は信濃一の宮諏訪大社に鎮座の建御名方命を主神に火の神軻遇突智命を相殿として祀る古社で、其の創立は文武天皇大宝2年(702)4月高根伊勢守道基が当村地籍旭ノ嶺に建立。
平城天皇大同2年信濃の凶族が有明山の嶮に拠りて王命を拒んだ。帝は田村将軍を遣わしてこれを征伐させた時、将軍は明神の神威に感じ、今の此の地に遷座し、多く民衆の参詣を便にし、神林を付して神供に当てた。
治承年間木曽義仲の祈願所となり、降って天正10年木曽義昌は武田勝頼と鳥居峠に於いて戦った。同年2月6日武田軍は当社に屯していたが、軍敗れるに及んで社殿に放火して退却。
その後50有余年に再建成り現在に至っている。また当地は古く慶長の頃より漆塗る郷として栄え、現在国の伝統工芸産業に指定されるに及べる如く、本殿は朱と黒の漆塗装が成されてあることも丁度その頃である。
近年富に盛んになった漆器産業も昔の先人は先ず自分達の郷土から漆の郷の栄え、また後世に受継ぎ伝えたいとした祈りと願いがある。
朱塗りの社 (境内社)
漆黒の社 (境内社)
朱と黒で塗られている
諏訪神社拝殿
拝殿に掛かる諏訪神社の扁額
庚申塔
諏訪神社鳥居
漆器店 「喜久屋」
芭蕉句碑 (側面に刻まれている)
諏訪神社由緒碑
御柱
箆(へら)供養之碑
舞殿 (神紋が二つ)
送られつ をくりつ果ては 木曽の秋
旧中山道石垣 (塩尻市史跡)
右が建御名方命(たけみなかたのみこと)
左が香具突知命(かぐつちのみこと)