「神に願かけ叶わぬならば二十三夜さまお立ち待ち」 という民謡があるように、下弦(22日、23日)のおそい月の出を待って、これを拝む風習があり、宿(当番の家)に参集して飲酒談笑して月の出るまで待つのであるが、特に 「お立待」 といって月の上がるまで腰を下ろさず立ち続けているという願かけをする者があり、うっかりして座ってしまったり、立っているだけでは苦痛なので、この晩集まっているものが踊りをおどってまぎらわすことが」あったという。
 また御嶽山の中興の祖として信者から崇敬された覚明行者の命日を23日として供養したことが伝えられ、1月・5月・9月・11月の4回その晩は頭(世話人)が先にたって集まり、胡座を敷いて経を読んでおつとめをしたと云う。
 これらの伝説を後世に残すため、文化7年(1810)今から約180年前、宮原六蔵氏他碑の裏側に刻てある8氏により、二十三夜の碑を建てられたものである。
 また、この付近の石垣はその頃の中山道の跡で、手甲脚絆姿の旅人達が往来した当時の面影を残している。
 (昭和49年5月平沢十二日同志会)

二十三夜説明

二十三夜塔