一里塚は、街道の里程の目安として一里おきに道の両側に設置された塚で榎や松が植えられ、往時の旅人の休息の場ともなっていた。
 この若神子一里塚は、中山道に設けられた一里塚のうち楢川地域内の5か所の一里塚のうちの一つで、江戸時代には道の両側に2基あり、それぞれに榎が植えられていたが、明治43年の中央線の鉄道敷設時に1基が取り壊され、現存する1基も国道19号線の拡幅によって切り崩されて、現在は直径約5m、高さ1mほどを残すのみとなっている。
 (塩尻市教育委員会)

擁壁上へ上がる細い道

若神子一里塚跡

国道19号線側が削り取られているのが分かる

若神子一里塚標柱、一里塚跡碑

若神子一里塚説明