矢部家住宅は、中山道に面した土蔵造りの店蔵と、その奥に続く塗屋造りの住居、土蔵造りの文庫蔵、切妻造りの勝手場他の建物で構成されています。
 矢部家は屋号を 「木半」(木嶋屋半七)といい、主に穀物問屋を営んでいました。また紅花の商いも行い、桶川の稲荷神社境内に残る 「紅花商人寄進の石燈籠」(市指定文化財)に刻まれた24人の紅花商人の中に名を連ねています。
 現存する建物の中で最古のものは中山道から最も奥に位置する土蔵造りの文庫蔵で、棟札から明治17年の建立であることがわかります。この土蔵は、屋根の鬼瓦の上から鋳鉄製の棘状の棟飾りが出ているのが特徴です。これは 「烏」 または 「烏おどし」 とも呼ばれ、烏除けといわれていますが、周辺地域でも数少ない珍しい意匠です。
 中山道に面した土蔵造りの店蔵は、矢部家第6代当主の五三郎氏(安政4~大正9年)が明治38年に建立しました。桁行5間、梁間3間、黒漆喰塗りの重厚な構えで、棟札には、川越の土蔵造り商家を多く手がけた職人たちを始め、地元の職人たちが名を連ねています。
 桶川宿で現存する土蔵造りの店蔵は、この矢部家一軒のみとなりましたが、往時の桶川宿の繁栄と賑わいを偲ぶことのできる貴重な建造物のひとつです。
 (桶川市教育委員会)

矢部家住宅説明

重厚な造りの矢部家住宅