桶川宿には、大名や公家などの宿泊施設である本陣、脇本陣のほかに、中山道を往来する一般庶民の宿である旅籠が数多くありました。その数は、江戸時代末期の天保年間(1840年頃)には36軒を数え、宿内全戸数の1割を占めていました。
この武村旅館は、嘉永5年(1852)の建築です。皇女和宮が中山道を下向した文久元年(1861)の 「和宮下向桶川宿割書上」 には紙屋半次郎の名があり、建物の造りなどから旅籠を営んでいたと考えられています。
明治時代になると、武村家が板橋宿よりここに移り、旅館業を営みました。明治末期頃には、現在の建物正面東側部分を突き出させた寄棟造りに改築したと思われますが、建築当時の間取りは現在もほぼ引き継がれています。大戸、大黒柱、階段、根太天井(2階の床板をそのまま1階の天井とする構造)などに当時の姿がよく伝えられた貴重な建造物です。
(桶川市教育委員会)
武村旅館
武村旅館