村社柴宮八幡社社標

大門神社社標 ・ 神饌幣帛料供進神社社標

 大門は塩尻宿の入口に位置し、北国道並びに三州・遠州筋への脇道があり、交通の要衝として栄え、農耕文化の地、更に銅鐸文化の地として栄えた。若宮八幡社は上野山の麓にある姥池の畔に水分の神として祀られたもので、今でも湧出する清水は御神水として、若宮八幡社の御神徳と共に深く尊崇されている。また柴宮八幡社は正平10年桔梗ヶ原に於いて南北朝の戦いの際、南朝の指揮所としての由緒ある地に両社共に建立された。柴宮は交通の要衝の地にあったので旅行者の参拝多く、両社とも明治5年村社の社格に列し、幣帛供進神社に指定され、拓け進み行く大門区の産土神として崇敬された。
 昭和27年両社合併の議起り氏子総会に於いて柴宮の地に若宮を奉遷して大門神社とすることと決し、昭和29年4月19日神社本庁の承認を受け、同年7月10日長野県知事より宗教法人大門神社として合併を認承されたのである。昭和50年9月拝殿及び幣殿、社務所を新築し、また若宮八幡社の跡地に天満宮を奉祀し神山天満宮と称え、大門神社の摂社と、また境内には水天宮(安徳天皇)、大峰神社(大山祇尊)、胸肩神社(田心姫命)、蛭子神社(蛭子神)、蚕玉神社(保食大神)が祀られている。

推定樹齢300年の三本の大ケヤキ

大門神社の扁額が掛かる両部鳥居

大門神社拝殿

柴宮銅鐸出土の地

ハッキリ見えない大門神社由緒