天明の大飢饉で行き倒れになった旅人を供養するために、享保元年(1801)に建てられたと云われている
親子地蔵
夜通道標柱
いつの頃か片丘辺のある美しい娘が岡谷の男と親しい仲になり男に会うために毎夜この道を通ったという