ここは赤報隊長相楽総三以下幹部8士その他の墓である。慶応4年(1868)正月江戸城総攻撃のために出発した東山道総督軍先鋒嚮導の赤報隊は、租税半減の旗印をたてて進んだが、朝議一変その他によって賊視され、明治3年(1870)同志によって墓がつくられた。
 名を「魁塚」として祭られた。
 爾来、地元では祭りを絶やさず昭和御大典には、御贈位の恩典に浴した草芽として維新史の上に大きく輝く人々である。
 (下諏訪町教育委員会)

魁塚説明

魁塚碑

石城一作義招魂碑

相楽総三ほか7名の名が刻まれている

贈従五位渋谷総司碑

贈正五位相楽総三碑

招魂之碑

魁塚看板

魁塚石碑群