中世よりこの地は湯の町として知られ、街道の道端で高温の温泉が自噴しているのが珍しく、多くの旅人が疲れを癒した温泉場で、名湯として広く知られてきた。
ここ旦過の湯は、鎌倉時代に慈雲寺に来た修行僧のために建てた旦過寮(旦に過ぎ夕に宿す)からでた名前で、そこに付属させた浴場が旦過の湯であった。
温泉の効能は傷や吹出物にもよく効くと言われ、元治元年(1864)和田嶺合戦の時、負傷武士の内で、この温泉に入った者は、傷の治りが極めて早かったという。
現在も湯量が豊富で、かけ流しの公衆浴場として親しまれている。
(下諏訪財産区)
岡本太郎氏の 「万治の石佛」碑
旦過の湯
旦過の湯と湯の町