慈雲寺は創建以来3回大火に遭っているが、文化3年(1806)の火災後の文化5年(1808)本堂、玄関、庫裡を再建した。
棟梁は上諏訪湯の脇の上原市蔵正房で、初代立川和四郎富棟の直弟子として、下社秋宮塀拝殿をはじめ富棟の造営した多くの寺社建築に加わっている。
本堂は入母屋造りで周囲に板縁を回し、内陣には臨済宗特色の通し須弥壇が付けられ、室中と両脇間との境の中間には柱を立てず、内陣の欄間には梶の葉と武田菱の彫刻が付けられている。
規模の大きさと全体に木太い建築である点が特色で、外観は質素であるが、内陣の彫刻に大工の特徴が現れ、江戸時代後期の臨済宗本堂の特色を示した建築である。
(下諏訪町教育委員会)
鐘楼
旧本堂の鬼瓦
慈雲寺本堂説明
慈雲寺本堂(左)、右は禅堂か?
方丈玄関
本堂に掛かる慈雲霞坤維の扁額