ここは浪人塚といい、今から120年前元治元年(1864)11月20日に、この一帯で水戸の浪士武田耕雲斎たち1000余人と松本、諏訪の連合軍1000余人が戦った古戦場でもある。
 主要武器はきわめて初歩の大砲10門くらいづつと猟銃少しだけで、あとは弓、槍、刀が主要武器として使われた。
 半日戦に浪士軍に10余、松本勢に4、諏訪勢に6柱の戦死者があり、浪士たちは、戦没者をここに埋めていったが、高島藩は塚を造って祀った。
 碑には、当時水戸に照会して得た6柱だけ刻まれている。明治維新を前にして尊い人柱であった。
 (下諏訪町教育委員会)

水戸の梅樹

(墓碑)

和田嶺合戦百年祭之碑

徳本の南無阿弥陀仏名号碑

 和田嶺砥沢合戦跡
 元治元年(1864)11月20日、水戸浪士の一行1000余人勤王の志をとげようと和田峠を越えてきた。それを高島、松本両藩が防いだ激戦地跡で、塚には討死した浪士を葬り、桜を植え墓碑が建てられている。
 (下諏訪町教育委員会)

墓碑の後ろに塚がある

浪人塚説明と浪人塚碑

国道142号線から左手の旧道に入ってトンネルをくぐる

国道の擁壁の脇に建つ 「元治甲子水戸浪士殉難之處」 碑

史跡浪人塚説明

旧道の中部北陸自然歩道道標

鈴木金蔵、不動院全海、横田巳之助、大久保茂兵衛、鈴木當之助、 岡本粂郎

観世音碑

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