中山道の古峠は、標高1600mの峠で、悪路で知られていた。下諏訪側の峠近くは急坂で風雪の時は旅人も人馬も難渋した。大雪の時には雪割り人足も出動した。下原村の名主勝五郎は、安政2年(1855)に避難場所と荷置場を造ろうと、郡御奉行所に口上書を差し出し、馬士の出金、旅人等の援助を乞うて、50両ほどで石小屋を築いた。
 石小屋は、山腹を欠いて高さ約2mの石積みをし、この石積みを石垣壁として片屋根を掛けたもので、石垣からひさしの雨落ちまで2.3m、長さ55mという大きいものであった。
 人馬の待避所や荷置場には絶好の施設であった。
 その後、慶応3年(1867)に修理したが、現在は石垣の一部を残すのみである。
 (下諏訪町教育委員会)

石小屋跡標札

木の枝が垂れ下がる峠道

中山道道標

石小屋跡説明

石小屋跡を振り返る