標高1531mの和田峠は急坂が多く降雪の際はもとより、雨や霧の日も旅人は難渋した。この峠の唐沢、東・西餅屋、樋橋、落合に茶屋があり、人馬の休息所となっていた。
この東餅屋では、5軒の茶屋が名物の餅を売っていた。寛永年間(1624-43)より、一軒に一人扶持(1日玄米5合)を幕府から与えられ、難渋する旅人の救助にもあたっていた。幕末には大名休息のための茶屋本陣も置かれ、土屋氏が勤めていた。
鉄道が開通するとともに往来も途絶え、5軒の茶屋も店をたたみ、今は(ドライブイン以外家は無く)石垣を残すのみである。
(文化庁・長野県・和田村)
石垣の上に建つ説明板と中山道道標
東餅屋説明