江戸呉服町の豪商かせや与兵衛(有隣)が、中山道の旅の難儀を幾分でも助けようと金1000両を幕府に寄付した。その金の利子100両を二分して、碓氷峠の坂本宿とこの和田宿に50両づつ下付し、文政11年(1818)に設置された施行所の一つである。
11月から3月まで峠を越える旅人に粥と焚火を、牛馬には年中小桶一杯の煮麦を施行した。
その後、山抜け(山崩れ)により流失したが嘉永5年(1852)現在地に再建され明治3年(1870)まで続けられた。
(文化庁・長野県・和田村)
茶屋前の水場
茶屋前のゴミ無し童地蔵
中山道碑
茶屋内部の焚火場と竈(かまど)
茅葺屋根の接待茶屋跡
急坂の先に接待茶屋跡が見える
接待茶屋説明、歴史の道中山道碑
馬頭観音3基