近藤谷一郎巡査は、慶応3年(1867)10月20日、新潟県北蒲原郡において近藤谷右衛門の長男として生まれ、明治22年(1889)2月4日長野県巡査を拝命し、同年3月9日に巡査教習所を卒業して、上田警察署丸子分署詰となった。
 上田警察署丸子分署に勤務中の明治22年8月22日、窃盗犯人を下諏訪警察分署へ護送する途中、当接待地籍において、やにわに逃走した犯人を捕らえようとして谷川で格闘中、犯人の投げつけた石を顔面に受けて倒れ、さらに、近藤巡査の所持する剣で腹部を切られて殉職した。享年22歳。
 犯人は頭部を負傷し、接待地籍の茶屋へ逃げ込んで来たが、茶屋の主人が近藤巡査に護送されていった犯人であることに気付き、通りかかった住民2人と取り押さえ、人力車に犯人を乗せて和田村巡査駐在所へ届け出て事件が判明した。近藤巡査の遺体は、翌8月23日捜索隊によって谷川の中で発見された。
 治安維持の崇高な使命にその尊い身命を捧げた若き近藤谷一郎巡査の霊を慰めるため、和田村では翌年から毎年8月22日の命日に、村民をあげて慰霊祭を挙行し続け、殉職から48年過ぎた昭和12年(1937)、丸子警察庁舎改築を機に、依田窪全町村長の発意により、この地に 「殉職警察官近藤谷一郎君之碑」 の慰霊碑が建立された。
 慰霊祭は、例年8月22日の命日に和田村民の手によってしめやかに開催されてきたが、昭和63年(1988)の100回慰霊祭をもって和田村主催から、和田村教育委員会の管理となり、その後、和田村更生保護婦人会の方々が命日前に慰霊碑周辺の清掃、供花等の供養を続けていただいている。
 (丸子警察署・和田村役場)

殉職警察官近藤谷一郎君之碑

殉職警察官近藤谷一郎君之碑説明

100回忌慰霊祭記念の石燈籠
(昭和63年8月22日)