信定寺本堂
風越聖観音
信定寺由緒
虚空蔵堂
安永2年(1773)上の山にあったものを明治34年(1901)山門の左側に建立、昭和10年(1935)修築、平成12年(2000)現在の位置に移転新築。
虚空蔵菩薩
この菩薩を念ずれば記憶もよくなり、忘れずになんでも願いを叶えてくれるとも言われている。無病息災、商売繁盛、良縁結実、交通安全と寅年丑年の守り神として崇められている。
木造三宝荒神立像(室町時代の一本彫)
鐘楼説明
鐘楼門
鐘楼門を下から見上げると鐘が見える
釈迦如来(鎌倉時代)を本尊とし、戦国時代武田信玄が信濃を攻め、城主大井信定討死、その菩提を弔うため天文22年(1553)に建立。
徳川時代、例幣使日光参詣の途中、和田宿に泊まり京都二条殿祈願寺となり、諸大名参詣す。
江戸時代14代住職活紋禅師(上田の竜洞院住職後隠居)は幕末の士、佐久間象山の師と仰がれ、その徳を慕い来るもの千余人、象山と一対一で世界情勢を語る。
寺の裏山は昔の和田城跡。
旧梵鐘は元禄3年(1690)の作で、江戸時代までは山門の右側にあり、明治19年(1886)現在の場所に設置、昭和17年(1942)戦時中供出するまで、朝夕鳴り響く鐘の音は村の人々の心のよりどころとしてきた。
新しい鐘ができるまで鐘楼の保存のため昭和44年(1969)に大修理を行い、昭和53年(1978)に新しい鐘を吊るす。
山門を兼ねた二層の楼門は柱が細身、やや腰高でなんとなくおぼつかない形に面白みがあり、また鯱が逆立ちしているのが趣がある。
平成12年(2000)大改築す。
虚空蔵菩薩、三宝荒神立像
虚空蔵菩薩説明
虚空蔵堂