馬頭観世音は、六観音八大明王の一つで、江戸時代馬の守護神として広く信仰されました。この馬頭観世音は江戸時代、中山道の往来の多かった頃のものです。
古代和田峠の黒耀石は、星糞の地で加工され、川沿いをたどり運ばれ、各々の集落ごとに物々交換の的となり、北は青森の三内丸山へ、西は阪神方面へと運ばれ、やじり・刃物などに使われ、古代の人の重要な役割をしたものです。
江戸時代の江戸五街道の一つ中山道は、江戸と京都を結び、東海道は大きな川に幾たびかぶつかるが、中山道は峠はあるけれど安全な道として 「女街道」
「姫街道」 の別名もあり、参勤交代の大名行列もよく通った道で、降嫁する皇女和子も東下した道でした。
馬頭観音の碑説明
馬頭観音 (手前に小さい馬頭観音3基)