石合家は長久保宿創設当初から、江戸時代を通じて本陣と問屋を勤め、4代目当主のもとには真田信繁(幸村)の娘が嫁いでいます。
当時の建物としては、大名や公家等の賓客が利用した 「御殿」 と呼ばれる座敷棟と幕末頃の構築と推定される表門が現存し、ともに町文化財に指定されています。
御殿には、上段之間・二之間・三之間・御小姓部屋・台子之間・入側(畳廊下)・十二畳之間が残り、腰高障子や欄間、書院造り等の格調高い内装は、本陣御殿の姿をよく伝えています。
構築年代は詳らかではありませんが、江戸時代中頃の寛延2年(1749)の絵図面に現状と同じ間取りが記載されていることや、細部意匠の様式から17世紀後半と推定され、中山道では現存する最古の本陣遺構であると云われています。
また、石合家には江戸時代初期からの古文書や、高札等の史資料が数多く保存されていて、これらも町文化財に指定されています。
(長和町教育委員会)
長久保宿本陣跡
旧本陣石合家住宅説明
旧本陣石合家表門